東京駅を出たら、まず反対側を見てほしい
東京駅の丸の内口を出ると、目の前にオフィスビルが並んでいる。三菱、東京海上、日本郵便。日本経済の中枢だ。振り返って反対方向を見てほしい。200メートルも歩かないうちに、高層ビルが消え、広大な堀と石垣、そしてその奥に深い森が広がっている。
ここが皇居だ。東京の一等地、山手線の内側のど真ん中に、約115ヘクタール——テルアビブのヤルコンパーク(約47ヘクタール)の2.5倍の敷地が広がり、そこに住んでいるのはたった一家族。天皇家だ。
なぜ世界で最も地価の高い都市の中心に、こんな巨大な空白があるのか?
この問いに答えるには、日本の歴史の根幹に触れなければならない。そしてこの歴史を理解すると、日本旅行で目にするあらゆるものの見え方が変わる。
天皇とは何か——王ではない存在
イスラエル人にとって王のイメージは明確だろう。旧約聖書のダビデ王やソロモン王——軍を率い、裁きを行い、国を統治した。ヨーロッパの王もおおむねそうだ。
日本の天皇は、それとは根本的に違う。
天皇の役割は、どちらかというとコーヘン・ガドル(大祭司)に近い。神と人をつなぐ儀式的な存在だ。日本の伝統的な宗教である神道では、天皇は太陽の女神アマテラスの子孫とされている。これは神話だが、重要なのは2600年以上にわたってこの物語が途切れなかったということだ。
比較してみよう。イスラエルのダビデ王朝は約400年で途絶えた。ヨーロッパ最古のデンマーク王室でさえ約1100年。日本の天皇家は、神話的な初代を除いても、少なくとも1500年以上、途切れることなく続いている。
なぜか?
まず、日本が島国だったからだ。ダビデ王朝が途絶えたのは、バビロニアという外敵の征服によるものだ。ヨーロッパの王朝の多くも、外部からの侵略で断絶した。日本列島に大規模な外敵が攻めてきたのは、歴史上ほぼ元寇(1274年と1281年のモンゴル軍の侵攻)の2回だけで、いずれも撃退された。海という天然の防壁が、王朝を滅ぼしうる外部勢力の侵入を阻んだ。
しかし、それだけでは説明がつかない。外敵がいなくても、内部から王朝が倒されることはある。中国の歴代王朝は、ほぼすべて内部の反乱か国内の別勢力によって滅んでいる。日本にも天皇より強い武力を持った権力者は何人もいた。なぜ彼らは天皇を倒さなかったのか。
答えは、天皇が権力を持たなかったからだろう。
権威と権力が分かれた国
日本の歴史を貫く最大のテーマは、権威と権力の分離だ。
天皇は国の権威、つまり正当性の源泉であり続けたが、実際に国を動かす権力は別の人間が握った。平安時代には藤原氏が、鎌倉時代以降は武士の将軍(ショーグン)が、天皇に代わって政治を行った。
この現象は実は日本だけのものではない。イスラム世界でも、アッバース朝の中期以降、カリフ(宗教的権威)は実権を失い、ブワイフ朝やセルジューク朝のスルタン(軍事的権力者)が実際の統治を行った。キリスト教世界でも、ローマ教皇と世俗の王・皇帝の間で権威と権力の緊張関係が何世紀にもわたって続いた。
日本が特殊だったのは、この分離が異常なほど安定していたことだ。イスラム世界では、アッバース朝のカリフはモンゴルのバグダッド占領(1258年)で壊滅的な打撃を受けた。その後もマムルーク朝やオスマン帝国のもとでカリフの称号は存続したが、王朝や担い手が何度も入れ替わり、最終的には1924年にトルコ共和国が廃止した。ヨーロッパでは教皇と王の力関係は時代ごとに激しく変動した。日本では、天皇家という同じ一族がずっとそこにいた。権力者は次々と入れ替わっても、権威の源泉だけは動かなかった。
なぜか。島国という地理が外敵を防いだことは先に書いた。では内側の理由はどうか。
第一に、天皇を倒すメリットがなかった。天皇は土地も軍隊も持っていない。倒しても何も得られない。むしろ天皇から任命されたと言える方が、自分の支配に正当性が生まれる。天皇は権力者にとって、最も便利な正当化の装置だった。
